「ニア」
いつもより早起きをしていたメロはニアが目を覚ますのを待っていた。だから、ベッドの上で体を起こしたニアの姿を見るとすぐさま近寄り、朝の挨拶もそこそこに楽しそうに聞いた。
「おはよう。ニア、僕は昨日とどこか違うと思わない?」
ニアがじっとメロの頭のてっぺんからつま先へ視線を何度か動かしていたけれど黙ったまま首をかしげた。そして、まだ眠いのか目をこすった。
「どこか?」
不思議そうな声を出しながらも、もう一度昨日との違いを何か一つでも探すかのようにじっくりとメロを見る。
「なにかあったんですか」
「わかんないか」
肩を落としがっかりした様子でメロはニアのベッドの端に座ると、ポケットからチョコレートを取り出してパキパキとかじりながら窓の外の晴れた冬空を眺めている。朝早くから一体どうしたのかとけげんな面持ちのまま白いシャツに着替え終えると、ニアはベッドに腰掛けるメロのそばでさっきの話を継いだ。
「今日のメロはどこが違うかと言われたら……」
すると嬉しそうにその続きを待っている。
「そう。どこだよ」
「昨日よりずいぶんと早起きです」
ニアの答えに顔をしかめて立ち上がる。
「もう。全然ちがう」
隣に並んで言った。
「ほら、僕、少し背が高くなってない? それに」
とニアの腕をつかんで部屋の隅に連れて行く。
そこには小さな鏡が掛かっていて、その前で二人一緒に映るように顔を近づけると鏡を覗き込んでメロは言った。
「僕の顔! 昨日よりずっと大人になったように見えるだろ」
鏡の中に映る瞳をくるりと丸くした驚き顔のニアへメロが視線を合わせた。
しかし、ニアは鏡の中ではなく隣に並んでチョコレートをなめるメロをチラッと見やって困ったように目を伏せた。
「なんだ」
思ったような反応がないのでメロは急につまらなそうにニアの腕を離す。窓際へ歩いていき、胸を窓枠に当てて体を乗り出すようにして空を見上げた。
「昨日より、今日の方がチョコレートだってずっと甘くておいしい。それに、ここのところずっと曇ったり雨が降ったりしてたのに、見てみろよ。めずらしく雲ひとつない青空だ。今日はなにもかも特別。どうしてかわかる? それは」
メロは満面の笑みでまだ鏡の前で立っているニアへ振り返った。
「僕の誕生日だから」
それを聞くとニアは右手を上げて髪に触れた。あいかわらず黙ったまま、指先を白銀色の髪にクルクルと絡めていた。しばらくそうしていたけれど、手を止めてゆっくりとメロに近寄った。
「メロ。誕生日おめでとうございます」
ささやくように小さな声だった。この部屋には僕たちしかいないっていうのに。メロはそんな気持ちでチョコレートを割った。ニアのささやき声よりパキッと大きな音がなる。
「ありがとう」
ニアの声につられないようにいつもより大きな声で返せば、さらに唇を動かすだけのようにニアはもっと声をひそめた。
「でも、それは誰にも言ってはいけないのです。メロはここへ来たばかりで知らないかもしれませんが……」
ぞんざいにうなずいてメロは言った。
「知ってる。理由も聞いてる。誕生日に本当の名前。生まれた場所や、このワイミーズハウスにいることさえも全部秘密だっていうんだろ」
メロはそう不機嫌な声を出して部屋を飛び出した。
つまらない。声にならないつぶやきをそっと吐き出すと腕を組んでワイミーズハウスの門扉にもたれて目の前の広い庭をメロは眺めた。ここは秘密だらけだ。誰もが自分のことを隠さなくちゃならない。そう思いながら続けてつぶやいた。
「でも、今日は僕の誕生日なんだ」
いつもはこの庭にみんなが出てきて遊ぶのだが、今は誰一人として出てこない。なぜならプレイルーム(遊戯室)に集まっているからだ。先日、天井に届くほどの高さのもみの木が届いた。ハウスの中は一気にクリスマス気分が盛り上がり、今日はみんながそこに集まってツリーを飾ることになっていた。でも僕一人いなくたって誰も気にしないとメロは鉄柵の重い門扉をゆっくり開けた。
すると、前から歩いてくる男の人に気づいた。扉を閉めるのも忘れてその人に目を凝らす。白いTシャツにジーンズ姿。背が高くて、黒い髪。右手を口元に当てているのは何かを食べているのだろうか。
「誰だろう」
メロはこのワイミーズハウスに来てまだほんのわずかしか経っていなかったが、ここに過ごす人の顔は全部覚えていた。ロジャーをたずねてやってきた客人もすべて記憶にある。でも、あんな身軽な格好で訪れた人はいなかった。道を間違えているのかもしれない。大通りからそれて入る一本道はワイミーズハウスのこの表の門へ続いていた。車でもここまでしか入れない。ここから先は急に細くなって回りこむように裏庭へ続いていくので通り抜けはできなかった。だからハウスへ用のある者しかここへは来ないはずだった。
ゆっくりと近づいてくる姿からメロは目を離さなかった。というより、目が離せなかった。左手をポケットに入れ、少し背をかがめて歩いてくる。もう十分に表情がわかる。長い前髪の隙間から真っ黒な瞳をのぞかせて同じようにじっとメロを見返していた。視線の強さに引きこまれそうだとメロは知らずに鉄柵を握っていた。
彼がメロの前でピタリと立ち止まり、ニコっと笑った。それは初対面とは思えないほどに親しげだった。急にほころんだその顔に、メロはまじろぎもせず見ていたことが気まずく、つい視線をそらしてうつむいた。彼のはくスニーカーを見ながら、そのままハウスの庭へ入っていけるように開いた門の前から少し体を動かして、彼が通れるほどの隙間をつくった。しかし、スニーカーは動きもせずメロと向かい合ったままでどこへも行こうとはしなかった。
それをよかったと嬉しく思ったのは、気まずさの後に湧き上がったなんとも気になる彼への好奇心のせいかもしれなかった。だから思い切って声をかけた。
「ここへ来たのは道を間違えたの? それともこのハウスの誰かに会いに?」
思いのほか強い言い方になってしまって、慌てて顔を上げて笑って見せた。すると彼は先ほどよりも気さくに微笑む。
その表情にほっとしたけれど、彼からの答えはなく、どうしてここに? 道を間違えたわけではなさそうだ。彼は誰だろう? という胸の内の疑問はつきず、何度もチラッと彼の様子をうかがう。沈黙の中、メロが繰り返し上目遣いで向ける視線をようやく気づいたというように、その人はぐいっと顔を近づけて目線をメロにあわせた。
「もうすぐクリスマスですね」
彼は門扉に飾ってあるリースを指差した。
「ん? うん。だから今日はみんなでツリーを飾り付けてクリスマスの準備をしてる」
「あなたは一緒にやらないのですか」
「僕は、まあ後でやることにするよ」
「そうですか。あなたは何をしてたんですか」
「えっ」
「ここでなにを?」
メロが答えられずに黙ると、彼は意味深な顔を見せて言った。
「てっきり私が来るのを知って、あなたが待っていてくれたのかと思いました」
彼の言葉にびっくりしてメロは首を振る。どうしてそんなことを。今日初めて会うのにと、もう一度まじまじと彼の顔を見た。
それからまた二人は黙り込んだ。その静かな時間は二人で向かい合っているだけではあったがメロにとっては別段居心地が悪いわけでもなかった。しばらくしてぽつりとメロが口を開いた。
「ここでつぶやいてた。『今日は僕の誕生日だ』って」
「あなたの?」
「うん。それに僕は、僕の名前は、メ…… ミハエル」
何度も『あなた』とかしこまった呼ばれ方をされてメロはそう言った。彼のメロに向ける心安い雰囲気に気を許し、誕生日も名前も本当のことを声にして言ってしまった。けれど、やっぱり秘密にしなくてはならないことに気が引けたのか、自分の声があまりにも小さくて彼には聞こえなかったかもしれないと思った。
そして、向かい合ったときからメロの鼻に届く彼からの甘い香りに我慢できなくなってポケットから一枚のチョコレートを出した。まず薄い紙を取ると丸めてポケットに入れた。銀色のアルミの隅を破り外側へ開く。中から強い香りが広がる。ふと視線を感じて顔を上げたメロはアルミを破る様をずっと見ていた彼と目が合った。そのままチョコレートの角をかんだ。それでもまだメロを見ている。吹き出しそうになるのをこらえてメロはたずねた。
「チョコレートは好き?」
「はい」
「僕も大好きなんだ」
パキッと両手でそれを割り、アルミに包まれている半分を差し出した。彼はそれを親指と人差し指で摘み上げるとて嬉しそうに言った。
「いただきます」
「どうぞ」
今度は声を上げてメロが笑った。
「メロ、そこでなにしてるの?」
ハウスの玄関口に立つ少年の大きな呼び声が聞こえ、そちらへ振り返る。
「もうあと少しでみんなのツリーの飾り付けが終わるから、一緒にやろうよ」
「わかった。すぐに行く」
声を張り上げてメロは返事をした。
おいしそうにチョコレートをかじっている彼に向き直る。
「僕、ここではメロって呼ばれてるんだ。本当の名前は誰も知らない。だから、さっきのは秘密。誕生日のことも」
「わかりました」
いたずらっぽい顔でうなずき、半分のチョコレートを食べ終えた彼はかがみこんでメロの耳元に口を寄せた。
―ミハエル、誕生日おめでとうございます―
その言葉と耳打ちがくすぐったくてメロは笑って肩を揺らした。
「ありがとう。そう言ってもらうのはきっと今日で最後だ。もう二度と誰にも言わないつもりだから。僕は中へ戻るよ。じゃあね。楽しいクリスマスを」
手を振るとメロは駆け出した。途中で後ろを見ると、もはや彼の姿はない。いったい誰だったんだろう。けれど彼の残した言葉はあたたかくメロの耳元にちゃんと残っていた。
部屋へ戻るとニアが一人で白いパズルをしていた。
「ニア、ツリーの飾りつけはもう終わった?」
「はい。私が作った分は、もみの木につけてきました」
ニアは朝のことなど気にしていないかのようにいつもどおりに部屋へ入ってきたメロへ言った。
「まだなのは僕だけか。よし、今からプレイルームに行ってこよう」
そして手作りで用意しておいた沢山のオーナメントを机の上から両手に抱えると、パズルをするニアの前で言った。
「これ半分持って、ニア。一緒に行って手伝って」
「私はパズルを」
その返事を遮るようにメロは抱えたオーナメントをいくつかパズルの上へバラバラと落とした。
「戻ってきたら今度は僕がパズルを手伝ってやるからさ。ほら」
同じ部屋になってからのここ数日でメロをよく知りつつあるニアは困った顔をしながらも、色紙で作ったヒイラギやメロが裏庭から取ってきて色づけた松ぼっくりなどのオーナメントを拾って立ち上がった。
プレイルームには大きくて立派なツリーがハウスのみんなの手によって充分に飾られ、きらびやかに立っていた。すでに誰も部屋にはいなかった。
「僕のをつけたら完成だな」
メロはさっそくオーナメントを一個ずつもみの木の枝に吊り下げ始めた。ニアもまたメロから渡されたそれらを一緒になって飾る。
部屋に入ってくる足音を二人とも耳にしながらも、飾り付けをし忘れた誰かだと思い、手を休めることはしなかった。
「最後の一つ、これはどこへつけましょうか」
背後からそう言われ、メロとニアは同時に振り返って声の主を見上げた。
「L!」
ニアが嬉しそうに呼びかけた。メロはあまりに驚いて声が出なかった。
「久しぶりですね、ニア」
にっこりと笑う顔にニアが
「はい」
とうなずく。
ついさっき話をしていた人がL? メロは先日ニアから聞いた話を思い出していた。ハウスのみんなから尊敬され、誰からも目標にされてる人がいるということ。ニアもまたLを目指しているときっぱりとそう言っていたので、メロも早くLに会ってみたかったのだ。なぜその時に一目でLだとわかるよう、どんな顔で、どんなふうに話をするのか聞いておかなかったのだろう。そうすれば最初に会ったとき、すぐにLだとわかったはずなのにとメロは思った。
Lと呼ばれた彼が今度はメロへ視線をうつす。先ほど誕生日や本当の名前まで口にしてしまったことが気にかかり、目が合うとどぎまぎした。
「メロ、私はLです」
ごく自然にメロを呼んだ。
「L」
彼の口から聞いた名前を繰り返したが、その後は口ごもって言葉にならなかった。そんなメロへLはおかしそうに笑むと深くうなずいた。そのうなずきの意味を理解してメロはようやく明るい表情になってLへ頼んだ。
「それは誰よりも高いところへ」
二人には背伸びをしても届きそうにない枝へLは手を伸ばして最後のオーナメントを結びつけた。
「クリスマスツリーは出来上がったようですね」
三人でツリーを眺めているとLがニアへたずねた。
「ニアは今年何を作ったのですか」
「私は小さな指人形を」
「あっ! ニアが作っていた指人形って! 赤い服に赤い帽子をつけていたからサンタクロースだと思っていたけど、その中の一つだけ白いひげがなくて黒い髪をしてたのがあったな。あれってLだろ。ツリーのどこにつけた?」
そう言ってもみの木をぐるりと回って探した。
Lの向けた視線にニアは照れくさそうにはにかんだ顔を見せた。
「でもまだ、その指人形だけは部屋にあるんです」
「なんだ。せっかくだから飾ったらいいのに」
と言って二人のもとへメロはもどってくる。
「ニア、ぜひ飾ってください。私の髪が黒いことを知っているのはニアとメロ、二人だけです。だからその指人形がLだとわかるのもあなたたちだけ。大丈夫です。かまいませんよ」
ニアの肩をポンと叩いてLがそう言った。
ああ、そうか、Lも同じなんだとメロはわかった。今朝、部屋を飛び出した時の割り切れないもやもやした気持ちが晴れていくように感じた。Lに憧れるニアもハウスのみんなも、そして僕もこのワイミーズハウスでLと同じように本当のことを秘密にしてそれを抱えていくのだと。
「そろそろ私はこれで。二人ともクリスマスを楽しんでください」
「L、また来てくれる? こんどはもっとゆっくり話がしたいんだ」
メロが素直な気持ちを伝えた。
「そうですね。次はたっぷり話ができるよう時間をとってきましょう。私も楽しみにしています。ニア、メロ、ではまた」
ほほえみを残し、Lはプレイルームを後にした。
二人だけになった。
「私、部屋へ戻ります」
「待って」
出て行こうとするニアを引き止めた。
「ニア、今日Lが来ることを知っていた?」
「まさか」
「そう。あっという間に帰ってしまったけれど、なんの用でここへ来たんだろう。このツリーを見に来たのかな」
ニアもまた首をひねる。
「さあ。もっと時間があれば仕事の話や外国での面白い話をしてくれるのですが、今日は忙しかったのでしょう」
「次っていつだろう。来週? 来月?」
メロの問いかけは止まることなく出てくる。
「前回Lがここへ来たのはずいぶんと前、夏の八月……」
ニアは自分の口にした言葉で気づいた。
「えっ。そんな前に来たっきりなら、次に会えるのは春になりそうだな」
残念そうな声を出したメロの顔をニアは正面から見た。
「メロ。Lはツリーを見に来たわけでも、面白い話をしに来たわけでもないはずです。今日、この日だからここへ来たんです」
そう強く言い切ったニアは繰り返した。
「きっとそうです」
「うん」
耳に残るおめでとうの声を思った。
「それならとっても嬉しいよ」
そしてメロはポケットからチョコレートを取り出すと、包みを破る前に二つに折り、片方をニアへ。
「これ」
「私はいいです」
首を振ってチョコレートを断るニアにびっくりしたメロは目を丸くする。
「チョコレートはきらい?」
「そうではありませんが」
すぐにメロはニッと笑う。
「ニア、僕の誕生日のこと誰にも言わないよな」
「はい。もちろん」
どうしてそんなあたりまえのことを聞くのかという顔になった。
「だから。僕の秘密を知ってる人にはチョコレートを半分」
「どういうことですか」
メロはもう一度ニッと口の端を上げると自分の手にしたチョコレートをかじった。答える気のなさそうなメロにさっぱり意味がわからないといった表情をあらわにしながらも
「わかりました」
と受け取ると、ニアはチョコレートの端を少しだけなめた。
再びメロはLのことを次々とニアへたずねた。Lはどんな仕事をしているのか。今度は庭で一緒にサッカーをしてくれるだろうか。ニアがLから聞いた一番面白かったのはどんな話か。それにLって――
二人が手にした半分のチョコレートがなくなっても、まだ大きなツリーの下でニアとメロは話を続けていたのだった。
---End---
08.03.05(07.12.30配布)
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