水遊び(ニア・メロ)

昼近くになると窓から差し込む強い夏の日差しを避け、床に座るニアは少しずつ影になっている場所を求めながらパズルをしていた。冷房が入っているとはいえ、容赦なく照りつける大きな太陽に部屋の温度は上がっていくように感じる。

ニアは完成した白いパズルをもう一度最初から始めようとしたが、それをひっくり返すのを止める。体の向きを変え、ベッドの下へ手を伸ばすと両手で抱えられるくらいのカゴを取り出した。にこっと楽しげな表情になり立ち上がって、シャワー室へと向かった。

ワイミーズハウスのそれぞれの部屋にはシャワー室が備え付けられていた。 洗面台と小さなバスタブ。壁についているシャワー。バスタブがあるとはいえ、バスルームと呼ぶにはきわめて簡素なつくりで狭かった。  

ニアはカゴを洗面台にのせ、靴下を脱ぐ。タイル張りになっているシャワー室はひんやりとして涼しかった。少し考えてから白いズボンの裾とシャツの袖をそれぞれ何回か折り曲げた。 シャワーの蛇口を目いっぱいに開いてバスタブへ水を入れる。ザアザアと勢いよく出てくる水にさらに表情をほころばせ、次に洗面台に乗せたカゴの中に入っているものを一つ一つ取り出すと徐々に水位の上がってきたバスタブの中へ投げ入れた。

七色に光るボール、小さなじょうろ、ウレタンでできた星や魚、ネジを巻くと水の上を進む船。色とりどりのおもちゃが所狭しと水面に浮かぶとニアは水を止めて、カゴの中から水鉄砲とプラスチックの黄色いあひるを両手に持ってその場にしゃがんだ。

バスタブに浮かべたあひるはひときわ存在感があった。そのプラスチックの背中を人差し指で水の中へ押し込み、手を放してぴょこっと浮き上がってくるのを掴む。それを繰り返し、ぐるぐると水をかき混ぜては波をつくり、あひるが浮かんで流れる様をじっと見ていた。裸足に感じるタイルの冷たさと水に浸す手の心地よさに満足しながら。 船のおもちゃを手に取りネジを巻く。水面に置くと中の小さなプロペラが回り、びっくりするほどに水を跳ね上げた。思わず目をつぶってしまい、首を縮める。そして前髪にとんだ雫を手で払い、黄色いアヒルを指で弾いた。

しばらくそうしていたニアだったが、何かを思いついたようにもう一つのお気に入りに水をいれ、立ち上がった。 ゆっくりとバスタブのふちに乗り上がる。濡れているので裸足で乗っても滑ってしまいそうだったけれど、慎重にそしてつま先に力を入れてニアは換気窓を開けた。

ちょうどニアの顔ほどの大きさの換気窓から外を覗く。相変わらず照りつける日差しが痛いほどで目をそばめる。わずかに体を引き、片手で握った青色のプラスチックの水鉄砲の口を窓枠に乗せて真っ直ぐ外に向けた。 水鉄砲を握るニアの姿はなかなか様になっていて、標的を見つめる目も凛々しい。そして、引き金をひく。

だが、飛び出した水は的外れの地面を濡らす。ニアは目を丸くして一段と色濃くなった地面を見つめ、首をかしげながら水鉄砲の銃口を覗いた。そして、バスタブから降りる。水をたっぷり入れなおすと再び先ほどの位置へ戻る。

もう一度窓から標的を睨む。風はそよりともせず、だからそれは少しも動くことはない。窓から覗くニアに背を向けて、目もくらむような太陽をまっすぐに見つめている。 水鉄砲の先を窓枠にしっかりと置き、息を詰めて引き金を思い切りひいた。

水は弧を描いて飛んだが、五メートルほど離れたところに咲くひまわりに、わずかに届かず手前で落ちた。繰り返し狙い定めてうってみたが、濃い緑色の葉や鮮やかな黄色の花びらひとつにさえかすりもしなかった。小さく息を吐いてニアは首を振る。 壁に片手を添えて足を下ろそうとしたとき、ちょうど黄色いあひるがバスタブからニアを見上げているようだった。背中をタイル張りの壁に当て、滑り落ちないようにバスタブのふちにひっかけるように足の指先をぐっと折り曲げて体勢を整える。

今度はあひるに向かってニアは水を放つ。が、なんとそれも狙いは外れ、下のタイルに当たって小さな水音を立てた。続けてうった水はバスタブの水面を何度か跳ねるだけで、黄色いアヒルはゆらゆらとそれをかわす。 おもいっきり腕を伸ばし、水鉄砲の口をギリギリまで近づけ引き金をひけば、指の反応が軽い。水が空になっていて何も出なかった。

拍子抜けしたニアは、あっさりとあきらめる。空になった水鉄砲の引き金の輪になっているところに指を入れてクルクルとまわしてからポイっと水の中へ投げてバスタブから降りた。そして右手の折り返していた袖口をさらに肩まで上げて腕を出すとバスタブの中に手を入れ、栓を抜き水を流した。後で底にたまるおもちゃを拾い集めようとそのままにし、洗面台の上の棚に置かれている白いタオルを背伸びをして取るとそれで丁寧に手足をぬぐう。

裾や袖口を捲くっていたにもかかわらず、なぜかすっかりびしょぬれになっているシャツもズボンも脱いだ。ニアはシャワー室を出ると部屋の隅においてあるランドリーバッグにタオルと一緒に詰め込んだ。 これを指定の場所へ決まった時間までに出しておくと翌日には洗濯されて、着心地のよいシャツとズボンになって戻ってくるのだった。

ニアは新しいシャツとズボンを身に着けると、ランドリーバッグを持って部屋を出た。そこには白いバッグが他に三つほどあった。 自分のをそばに置いていると
「ニア」
ちょうど通りかかったロジャーに声をかけられた。
「悪いが、私の部屋へ寄ってくれないか。メロが希望していた本が届いたので渡してもらえるだろうか」
後について彼の部屋へ立ち寄り一冊の本を受け取る。その際、メロの姿は朝から見えないがどうしたのかと聞かれた。 首を振った。メロが今朝早くからどこへ行っているのか、ニアもまた知らなかった。けれどきっと戻ってくれば
「僕がどこへ行っていたか聞きたいだろ?」
と愉快そうに朝から何をしていたか話し出すだろうと思った。

 ドアを開けると、部屋の真ん中にいつの間にか黒いTシャツが一枚脱ぎ捨てられている。メロが帰っていた。 水の出ている音に、慌ててメロの机に持っていた本を置き、シャワー室へ声をかける。
「戻ったんですか?」
返事はない。まだ自分のおもちゃを片付けてなかったので、名前を呼びかけてシャワー室の中を覗く。 メロはおらず、シャワーが出しっぱなしになっていてバスタブにたまった水があふれ出していた。
「メロ!」
どこかに姿を消しているメロに向かってニアは声を上げた。

あふれ出ている水は下のタイルを存分に濡らし、軽いプラスチックやウレタンのおもちゃは全部排水溝に向かって流れていた。 黄色いあひるが先頭となり、くちばしを排水溝の網にひっかけ、水の勢いに乗ってさらなる地下の旅へと出ようかというところだった。 足元を豪快に流れていく水に裾が触れないようにと爪先立ちになって、最大に開いている蛇口を何度も回す。シャワーから流れ出てニアに跳ね返る激しいしぶきがようやく止まって、ほっとする。 洗面台においたカゴを引き寄せ、ニアはおもちゃを拾い集めた。

「もう片付けるのか?」
振り返れば、黒いズボンだけをはいたメロがタオルを抱えて立っていた。
「メロ!」
「今、帰ってきてシャワー室に入ったら面白そうな先客がたくさんいたから、せっかく水を入れておいたのに。それにおまえだろ」
ニアはメロの持つタオルに気づくとうなずいた。
「ごめんなさい」

ランドリーバッグを置いた場所のすぐそばのには、洗濯済みの替えのタオルがストックされていて自由に持っていくことができる。メロとニアの間ではシャワー室の最後の一枚を使った者がそこから何枚かもってくるというルールになっていたが、ニアは帰り際にすっかり忘れていた。
「まあ、気づいたのがシャワーを浴びる前だったからよかったけど」
笑いながらメロは言うと棚にタオルをのせた。

 それから、さっと何もかも脱ぎ、ニアの抱えるカゴの中から水鉄砲をつかんでいたずらっぽい笑顔を見せた。そして弾みをつけて勢いよくバスタブの中に飛び込む。メロのからだ分の水があふれてくるので慌ててニアは後ずさった。 大きな水音を立てて中に沈みこんだメロはすぐにザバっと首を出して、青い水鉄砲を天井に向けてうった。
「部屋の窓から、これでどっちが遠くまで水を飛ばせるかやろう。ほら、おまえも持てよ」

「水鉄砲は一つしかありません。私はいいですから、メロ、どうぞ。それに私、着替えたいんです」
袖口から雫を滴らせてニアは言った。
「ははっ。確かにニア、おまえもシャツを着たままバスタブに入ったみたいだな」
濡れた前髪の下の目を細め、声を上げてメロは笑う。  出しっぱなしのシャワーを止めたり、タイルの床を流れる水に足元を濡らし、すごい勢いで飛び込んだメロの作った水しぶきで、ニアは着替える前と変わらないほどであった。 カゴを持ってシャワー室を出ようとしたが、ニアは黄色いあひるを取り出すとバスタブに浮かべて言った。
「メロ、このバスタブのふちに立ってそこからこれを的にしてみてください」

「あひるに? こんなに近くなら簡単だ」
メロは飛び込んだときと同様、勢いよく立ち上がるとバスタブに乗りあがって水鉄砲を持った腕を伸ばす。 まだメロが立ち上がった際に起こった大波に漂うあひるをめがけて引き金をひいた。
「よし!」
 見ていたニアは驚いた。メロは一回で水をあひるの背に当てて水面を泳がせた。
「あの、では、メロ。後ろの換気窓の正面に咲いているひまわり──」
「ひまわり? ああ」
つるっとした背中をニアに向けてメロは換気窓から外を覗く。
「少し距離があるけど、でも僕なら一回で」
水鉄砲を構えて引き金をひいた。ニアの立つ場所からは窓の外は見えなかったが、メロの舌打ちで結果はすぐわかった。

しばらく
「なかなかうまくいかない」
「あと少し右だ」
「おしい!」
というだんだん真剣になっていく声を聞いていたがメロもちっとも命中しないようで、何度も水を入れてはうち続けている。ニアは一度メロに呼びかけたが、返事もしなかったので、着替えるためにシャワー室を出た。 脱いだシャツとズボンを持ち、ランドリーバッグへ入れに行こうかどうか迷った。しかし、窓の外へ目をやってすぐに決めた。 濡れたシャツとズボンをハンガーにかけ、部屋の中央の窓を大きく開いて鍵の突起にひっかけた。おもちゃの入ったカゴも窓枠の上において乾かすことにした。 そしてベッドの上に乗るとパズルを始めた。

時々、「くそっ!」と大声で叫ぶメロはまだ水鉄砲に夢中になっているようだった。 パズルを三回ほど完成させた頃、名前が呼ばれた。
「ニア、おい。ニア! おまえのシャツが窓の外に落ちてる」
はっと顔を上げて窓に寄るとシャツがハンガーごと落ちていた。少し風が出始めていて、ほとんど乾き始めているズボンの裾がはためく。 窓から乗り出し手を伸ばしても到底届きはしないので、外へ出て取りに行かなければならなかった。仕方なくニアは院の玄関から出ると自分の部屋の窓下へ行った。

窓際にはタオルを頭にかぶったメロが待っていて、無造作に両手で濡れた髪をぬぐっていた。ニアは落ちている白いシャツを拾い、簡単に手ではたく。 タオルを肩にかけ、体をかがめランドリーバッグを持ち上げたメロが言った。
「ほら、こっちによこせよ。僕のに一緒に入れて今から出してくるから」
ニアは窓越しにシャツを渡す。
「これもだ」
とメロは窓に引っ掛けている白いズボンもハンガーからはずすと、まとめて大雑把に丸め、自分のランドリーバッグの中へ入れた。

 窓枠に置いたカゴもすっかり乾いていた。中には青い水鉄砲も入っていたのでニアはひまわりを指差して聞いた。
「メロ、もうやめたのですか?」
肩をすくめて答える。
「どうも真っ直ぐに飛んでいかない。このままやっててもバスタブの水がなくなるのが先だ」
ニッと口角を上げてメロは続けた。
「でも、ニアもそうだったんだろ?」
えっと聞き返すニアへ声を出して笑う。
「僕たちの水鉄砲の腕はどっちも似たようなもんだな」
まるで見ていたようなことを言うとニアは驚いた顔をメロに見せたが、すぐに
「そのようです」
とフフっと笑って同意した。

メロは首にかけたタオルも手につかんでランドリーバッグに入れると
「早く置いてこなきゃ」
と部屋を出て行った。 ニアもまた部屋へ戻ろうとした。換気窓から見つめた大輪の花を咲かせるひまわりのそばへ歩いていく。ひまわりは二人が水鉄砲を向けていたことなど、そ知らぬ顔で黄色い花びらをそよぐ風に揺らす。 換気窓とひまわりの間には小さな水たまりが出来ていて、メロがどれほどむきになって水鉄砲をうっていたかがわかる。 ニアはクスッと笑いながら、その水たまりを飛び越えた。

---End---

08.09.14(08.08.24配布)

閉じる→