Lを待つ 二人の少年 (L ニア・メロ)

Lは言った。
「ワタリ、ここで止めてくれ」
静かに車が止まる。
「歩くのですか? L」
車を運転していたワタリが、後部座席で膝を立てて座る彼へと声をかけた。Lは返事の代わりに黒い目を運転席に向けてから、ドアを開けて車を降りた。

秋の空気は思った以上に冷えていて、ほとんど外へ出ることのないLは、白いTシャツ一枚だけの背をさらに丸めるように首をすくめた。踵を踏んだスニーカーで歩く足音が一歩ごとに澄んだ空に吸い込まれていく。
坂道の先へと視線をやり、両手をポケットに入れる。カサカサと鳴るセロファンを指先に確かめると、にんまりと口の端を上げた。
右手で一本のロリポップをポケットから出した。クルッとはずしたセロファンは左のポケットへ入れ、オレンジ色の丸いキャンディ部分を口に含んだ。

午後一番のこの時間、あたりはひどく静かだった。後ろを振り返る。乗ってきた黒い車は姿がない。大きく迂回をして先に駐車場へ入っているのだろう。
それにしても、ふと歩いてみたくなったのは、なぜだろうかと自分の気まぐれに、Lは小さく笑みを浮かべた。

向かっているのは、ワイミーズハウス。
敷地を囲うアンティークで装飾的な鉄柵の隙間からは、手入れされた表庭の色づいた秋の木々が茂り、子どもたちの集う建物は広い庭の向うに、わずかばかりに見えた。この坂道を登ったところに入り口がある。
前回は白い蝶が飛び、赤や黄色のチューリップが咲いていたことを思い出せば、Lがここを訪れるのは、ずいぶんと久しぶりであった。



──メロ
メロはテキストに視線を落としたまま、次のページをめくった。
──メロ
先程より強くなったささやき声に、メロは聞き間違いではなく、やはり自分の名前を呼ばれたのかと、隣に座るニアを見た。

 授業中にニアから声をかけてくることなんて、今までにない。しかし、窓際に座るニアは、メロを呼んだにも関わらず、じっと外を眺めている。ニアの机の上に置かれたテキストは、すでに読み終わったページが開いたままになっていた。 
指先で髪をいじっているニアへ、声を出さずに尋ねる。
──なんだよ
ニアはゆっくり首を回し、隣にいるメロに向かってニコリと笑う。髪に触れる手をおろし、「外を見てください」と唇を動かした。

 テキストを読みながら、黒板に次々と文字を書いていく教師の背中をチラリと見て、メロはニアの座る椅子の背を手で掴むと、体を寄せた。
──なに?
三階の教室から見下ろす表庭は、特に変わった様子もない。からかってるのかと、文句を言おうとするメロより先に、ニアは金色の髪に隠された耳元へ、とっておきのニュースをすばやくささやいた。 途端に、驚きで目いっぱいに開いたメロの瞳は、あっという間に喜びの色を帯びた。



 一人の少年がハウスから勢いよく飛び出してきた。真っ直ぐに走ってくる。はちきれんばかりの笑顔を見せて。Lは門を入ったところで、立ち止まって彼を待っていた。自分の元へとわき目もふらず、息せき切って駆けてくる姿をじっと見つめた。
「L! 来てくれたの?」
嬉しそうにそう言って飛びついてきた彼は、春に会ったときよりずっと背が伸びていて、軽々と抱え上げるのは難しかった。だから、Lは「こんにちは、メロ」と全身で飛び込んでくる彼をしっかりと抱きとめ、再会を喜び、両腕にぐっと力を込めた。

「ニアが教室の窓からLの姿を見つけたんだ。授業中に話しかけてくることなんてないからさ。何かと思ったら、鉄柵の隙間から見えたLに気づいたって、僕に教えてくれた。あいつは目がいいけど、どんなに目を凝らしても僕にはわからなくて。だから、Lの姿を見にきたんだ」
「久しぶりです。でも、今は授業中でしたか」
Lが聞くと、メロは少々気まずそうに「うん、まあね」とうなずく。

「でも、すぐに僕は教室に戻るけど…… 僕たちの授業が終わるまで待ってて。L、帰らないで」
真剣な顔で、返事を待つメロに、思わず口元をほころばせてLは答えた。
「わかりました。あなたたちの部屋で、待たせてもらうことにしましょう」
「やった!」
取り付けた約束に笑みを見せたメロは、教室の方を指差した。
「きっとニア、こっちを見てる」
大きく手を振った。「Lも」とメロに言われて、ポケットから右手を出してLは高く掲げる。
「わかるでしょうか?」
「ニアならね。それじゃあ、また後で」
メロは来たときと同じ勢いで走り出していったが、すぐに踵を返して戻ってくるとLに言った。
「僕の机の上にチョコレートがあるから。好きなだけ、どうぞ。L」



 ワイミーズハウスはワタリの設立した施設だった。Lはその施設が、自分の後継者を育てるためのものだと知ったのは随分と後になってからだったが、知った後も変わらず無関心であった。そもそも、自分の後を継ぐ者のことなど考えたことも無かった。
と言うのも、Lは自分が事件に携わっているのは、単なる趣味でしかなかったからだ。それが高じて天才探偵などと呼ばれるようになったが、依頼される事件は興味惹かれるものにしか手を出さなかった。反対に不可解で面白みを感じる謎には、自ら乗り出していった。
そんな風に自由に、やりたいように過ごす自分の何を継いでいくのだろうかとLは思わないではなかった。が、なによりLはワタリには信頼を置いていたので、後継者を育てるという意図や、施設について口を挟むことはなかった。



ある日のことだった。アメリカでの事件を解決し、イギリスに戻ったLを乗せた車は、「ちょっと寄り道をさせてください」というワタリの運転の元、ワイミーズハウスに向かった。
それがLにとって、最初の訪問となった。

Lとワタリの二人を待っていたのは、ハウスの管理を取り仕切るロジャーという年配の人物で、ハウスの子どもたちと顔を合わせることのない応接室へと彼に案内された。
まずはロジャーがアメリカでの事件解決を労い、「ハウスの子どもたちも、解決の早さと謎解きの見事さに驚いていました」と告げた。
Lはハウスの子どもたち誰一人と顔を会わせたことは無い。顔も知らぬLの活躍がここで語られ、憧れとなり、ハウスで学ぶ目標となっているのだと知ると、自分自身の事ながら、Lはひどく不思議な気持ちになったのだった。

その後は、ロジャーとワタリが書類をめくりながら話をするそばで、テーブルに並べられた菓子やフルーツを次々と平らげていった。
テーブルの端に置かれた書類の束から、一枚の写真が飛び出していた。それに目をとめたLは、持っていたフォークを皿におき、腕を伸ばして写真を抜いた。
それを一目見て、Lは笑った。
 写真はハウスの庭から玄関に続く短い階段に、子どもたちが並んでいるものだった。テーブルに写真を置き、人差し指でトントンと二人の少年を示した。
「この目つき、ずいぶんと手ごわそうです」
Lの言葉にワタリは眼鏡の下の目を細め、ロジャーは「ほう」と驚きの声を上げた。 「その二人が、ここでずば抜けて優秀な少年だそうです」と言うワタリの後に、ロジャーは続ける。
「金色の髪の少年がメロ、白いシャツを着てしゃがんでいるのがニア。メロがニアを追う形で拮抗している」

メロとニアの二人だけが、レンズを向けられることに不審そうな表情をしていた。けれど、よく似た黒い瞳からは強い意志を放っていた。まるで、こうしてLが写真を見つめているのを知っているかのように。
この一枚は、二人の少年の顔をLに知らせるためだけに撮られたものであったのか、ワタリはテーブルから写真を取ると、何気ない所作で火をつけた。
Lはワタリの手元で一瞬大きくなった炎を見ながら、自分と同様に、姿を残すものを持つことを許されない少年たちに興味を持った。
「会えますか? ニアとメロに」
これまで、Lが謎めいた事件以外に好奇心を持ち、逃げ回る犯人を探す以外に他人に関心を持つことなど、ほとんど無かったのだったが。

ソファに両足を乗せて座り、チョコレートケーキをフォークでくずすLを、応接室に呼ばれた二人は、先ほどの写真と同じ用心深そうな様子で見つめていた。ロジャーとワタリは席をはずし、三人きりだった。
「はじめまして、Lです」
信じられないといった表情で、二人は顔を見合わせた。
「本当に、L?」
メロが聞いた。
「ええ、本当です」
すると、二人はこそこそと、互いに耳打ちを数回繰り返した後、にっこりと笑みを交わし、その笑顔をLへと向けた。
「はじめまして、L」
このとき、いったいなにが彼らを納得させたのか、今でもLにはわからない。

二人はLの前に座った。そして、Lにケーキやクッキーを食べる暇を与えないほどに次々と話しかけ、問いかけ、Lの答にはじけるように笑った。
「ニア、メロ、待ってください。私に一つケーキを食べさせてくれませんか」
困ったようにLが言うと、ようやく二人は口を閉じて一息ついた。

やっとLがそのチョコレートケーキを平らげると、メロは待ち構えていたように言った。
「僕たち、Lのことを知ってから、ずっと僕たちLのことばかり考えてた。 だから、気になることを一つ残らず聞いておきたいんだ」
「こうして会うことができて、とても嬉しいんです」ニアの言葉にメロが大きく頷いた。
Lと二人の間にはたくさんの菓子が乗ったテーブルがあったが、二人が体を乗り出して、話をするたびにそのテーブルを超えて距離が縮まっていくようであった。

ワタリに帰りの時間を急かされるほどに、三人は楽しいひとときを過ごした。テーブルの上の菓子はすっかりきれいになっていた。ニアとメロは、話し足りない、聞き足りないといった顔を見せた。
それでも、Lが「では」と立ち上がって、応接室の扉に手をかけたとき、メロとニアは口をそろえて言った。
「また会いに来てくれるでしょう?」
「私たち、待っていますから」
はっとした面持ちでLは振り返った。

ワタリと共に謎を追い、事件を解決するために転々と場所を移ってきたLには、誰かを残していくことも、自分の戻りを待つ者を持つこともなかった。だから、次の約束をすることすら、思いもしなかった。
初めて、別れ際に「待っている」と言われたとき、Lは心に一瞬、えもいわれぬ感情が生まれたのを無視できなかった。くすぐったいようなその言葉の響きに、自然と口元がゆるんだ。
「はい。では、また。ニア、メロ」
Lは、再会の約束を交わした。
それから、頻繁にとは言いがたかったが、イギリスに滞在するときには、時間を見つけて、わずかでも二人の顔を見に来きた。それは、気まぐれでも、義務でもなかった。ただ、彼らに会うために。



メロとニアがまだ授業中で、部屋にいないことを知りつつも、Lは小さくノックをしてからドアを開けた。
鼻をくすぐるチョコレートの甘い香りに包まれると心休らぐ。
メロの机の上には、言っていた通り、チョコレートが何枚も散らばっている。
「それでは遠慮なくいただきますよ、メロ」と小声で断ると、板チョコレートを一枚つまんで早速かじり始めた。

メロとニアの二人がいなくても、部屋の中は二人の気配を残して、にぎやかささえ感じられた。
もうすぐやってくるハロウィンの準備のために、部屋の窓枠には大小の黄色いかぼちゃがずらりと並んで、二人の手によって、ジャック・オ・ランタンになるための順番を待っているようだった。
それから、Lは壁に黒いペンで書かれたしるしに目をやった。それは、彼らの背の高さを刻んだもので、Lがこの部屋に訪れるたびに、たがいの背のしるしをつけあってきたのだった。

Lは背中を壁につけて、メロと並んだことを思い出した。メロはニアへペンを渡し、しるしをつけるように言った。ニアはなんとか背を伸ばし、メロの頭の上に一本の線を引いた。
そして次にLを見上げる。Lは「私は自分で書きますよ」とペンを受け取ろうとした。しかし、ニアは首を振り、「そのままでいてください」と椅子をもってきて、、その上に立った。メロが椅子を支え、「手は届く?」と聞いた。

Lの背のしるしは、ニアが椅子に乗って、壁に線を引っ張ったその一本きりで、ずっと変わりなかったが、ニアとメロのしるしは、この何年かの間にずいぶんと上へ上へと増えていた。けれど、Lのしるしまで伸びるには、まだ何年もかかるように思われた。
それまで、この二人の少年たちに「Lを継ぐ」以外の未来が現れないと誰が断言できるだろうと、Lは思った。さすがのLでさえ、彼らのこの先を、読み解くことはできないのだから。

部屋の時計を見、もう十分もしたらニアとメロが授業を終えて、戻ってくるはずだと、ニアのベッドに乗りあがって両膝を立てた。
ベッドの上には、Lが以前に送った白いパズルが、全てのピースがはまって置かれていた。Lはチョコレートをくわえると、パズルをひっくり返し、ピースを混ぜた。親指と人差し指でピースをつまみ、並べ始める。ピースは次々と繋がっていき、あっというまに完成した。

いつだったか、ニアの目の前でLはパズルをしたことがあった。じっと、Lの指先を見つめていたニアは、パズルが完成すると、「もう一度やってみてください」と頼んだ。
 再びパズルに取り掛かったLの指の動きを追うニアへ、Lは聞いた。
「どこにピースを置けばぴったりと完成するのかは、もうわかっているのでしょう?」
「ええ、でも。Lの速さ、Lのリズムには追いつけないのです」
 ニアを見返してにっこりと微笑んだLは、白銀色の髪を弄ぶニアの手を取ると、そこへピースを乗せた。
「ニアのリズムでいいんですよ」
 そのLのたった一言で、ニアは嬉しそうに晴れやかな顔になった。

時に、メロが一番になると感情をあらわにし、焦燥感に唇をかむように、ニアもまた凛とした大人びた表情の内に抱えているものがあるのだと、Lは知った。ワタリの築いたワイミーズハウスで、優秀であり続けるだけではない二人の健気さを、いつまでも覚えていたいとLは思った。


鐘が鳴った。
授業を終えて、メロとニアが急ぎ足で廊下を歩く姿が目に浮かぶ。
Lは、そんな少年二人を待っている。

  

---End---

09.11.13(09.10.25配布)

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