雲行きが怪しくなったと思ったら、途端にパラパラと雨が降り出してきた。
のんびり木の枝に座って、チョコレートを食べていたメロは、「うわっ」と声を上げて、空を見上げた。緑色の葉間から落ちてくる雨粒は、次々とメロの頬や鼻先に当る。これは一気に振ってきそうだと、枝の上にバランスよく立ち上がり、まだ半分以上も残っているかじりかけのチョコレートを口にくわえて、メロは一本下に伸びている枝へ足を下ろした。
そして、平らになっている場所をめがけて飛び降りた。
着地は上手くいったけれど、思わず歯に力が入り、くわえたチョコレートは割れてアルミに包まれている方が白い花を咲かせるシロツメクサの上に落ちた。
その間も次第に雨足は強くなり、黒いTシャツに、色濃い水玉模様が増えていく。メロはチョコレートをさっと拾い上げた。
ここから小道を走って行けば、ハウスの裏口にたどり着くが、それはずいぶんと大回りだった。雨宿りをするなら、裏庭を近道してもっといい場所があることに気づき、メロはそっちへと向かった。
裏庭を真っ直ぐに突っ切った先には礼拝堂がある。
しかし、そこまでは歩きやすい小道などはない。赤や黄色の花をつける低木の茂みをかき分け、まだ蕾さえ出ていないノイバラの葉の棘にひっかからないよう、そっと枝を上げてくぐらなくてはならなかった。それでも、道に迷うことなく礼拝堂が見えてくると、メロはさらに足を早めた。
ハウスの子どもたちが全員集まることのできる礼拝堂は、屋根に十字架が立ち、窓ガラスには繊細な模様を施されたステンドグラスがはまっている。日曜のミサやクリスマスでの集いでしか、ここを使う事はなく、そんなときはロジャーが鍵を持ってきて重厚な扉を開けるのだった。だから、ハウスの子どもたちは勝手に入ることできなかった。
屋根裏部屋や応接室の鍵は、鎖で一つにつながれ、ロジャーの部屋の帽子掛けの一番上にいつもひっかけてあることをメロは知っていた。だからメロはロジャーが外出しているときには時々ニアを誘って、その鍵を持ち出し、屋根裏部屋の中に入った。
メロはそこで、宝探しさながらに、なにか面白いものはないかと仕舞いこまれた物を引っ張り出した。
「これはずいぶん古いな」とか「これはなんだ? どうやって使うんだろう」とメロが逐一尋ねるたびに、ニアは埃っぽさに顔をしかめながらも、「そのカップの色の付け方から、八十年ほど前のものだと思います」とか「それは、目盛りが入っていますから、多分、東洋の水時計ではないでしょうか」と答えた。
そして、時にLの持ち物らしい年代物の手彫りのチェスの駒や、マジックペンで書かれた図形のような落書きのスケッチブック(手書きのサインを目を細めたり、逆さまにしたりして、なんとか二人はLと読んだ)などを見つけると、秘宝を発見した探険家のように、薄暗い屋根裏部屋の中で、喜びに顔を輝かせて飛び上がるのだった。
反対に、応接室の鍵を使う事はなかった。というのも、Lが訪れているときには応接室のドアは必ず開いていて、そんなときには、ニアとメロは、ノックするやいなや部屋に入り、二人並んでソファに座ると、テーブルに並ぶ色とりどりのお菓子を囲んでLと一緒にお茶を飲んだからだ。
そういうわけで、唯一、鍵のありかを知らないこの礼拝堂に息せき切ってやってきたメロだったが、当然鍵も無しに扉を開ける方法はなかった。
扉を引いてみたが、開かない。
チッと小さく舌打ちをしてから、メロはくるりと背中で扉にもたれると、静かな春の雨の匂いをゆっくり吸い込んだ。そして、手にしていたチョコレートをかじる。
先ほどまで登っていた樫の木は、メロが生まれるずっと前からあの場所で葉を茂らせていたに違いなく、一番高いところから地面に水平に伸びている枝がメロのお気に入りだった。
木登りの得意なメロ以外には誰もそこまでは登ってこなかった。春から夏にかけては緑の葉をたっぷりとつける枝に遮られるので、下から見上げてもすぐにはメロの姿を見つけることはできない。一人になりたいときには抜群に心地の良い場所だった。でも、今日のように雨が降ったり、風が強かったりすると、なかなかのんびりもしていられなかった。
礼拝堂に入れたら、好きなときに一人きりで過ごすことができるのにとメロはチョコレートを舐めながら思った。まあ、部屋にいてもニアが僕の邪魔をするわけじゃないけど、と胸のうちでつぶやく。
どちらかといえば、パズルをするニアの手を止めさせるのは、話しかけたり、屋根裏部屋や裏庭へ引っ張り出そうとするメロのほうだったからだ。
礼拝堂に当る雨音が大きくなったような気がして、メロはもう一度鍵穴を覗いた。しかたない。雨がやむまでここにいようとあきらめたとき、ふと、思いついた。
もしかしたら!
メロは両手をうなじへとまわすと、あごをぐっとひいて、首に下がる鎖の留め金をはずした。そしてゆっくりとTシャツの首元から鎖をゆっくりと取り出した。
メロのロザリオだった。小さな十字をじっと見つめると、思い切ったように、それを試してみた。
ロザリオの先端が鍵穴に入る。二三度回してみる。
手ごたえのない感覚に、メロはやっぱりだめかと、ため息をついた。いい考えだと思ったのにと、ロザリオを抜こうとしたとき、先端がわずか鍵穴の上に引っかかって、カチャッと音がした。
「やった!」
奇跡的な偶然にメロは声を上げた。
そして、その大事な鍵を首にかけて、Tシャツの中にしまうと、礼拝堂の中へと入った。
正面に十字架が掲げられ、木製の長椅子が並んでいるだけという簡素な造りではあったが、落ち着きのある畏まった雰囲気が漂っていた。
メロは窓際へと歩き、雨が降り込んでこないようにわずかにステンドグラスの窓を開けて外を眺めた。庭は春の静かな雨に濡れている。
ハウスの入り口を遠目にすれば、白いシャツとズボンのニアが、立っていた。
雨の中、どこへ行くつもりだろうとメロは珍しく思いながら見つめていた。もちろん遠すぎてニアの表情などわからなかったけれど、片手で髪をいじり始めたので、この雨にためらっているのは見てとれた。
ニアはその場所で背伸びをして庭を眺める。もしかして、僕を探してるんだろうかと、メロは顔を出せるくらいに窓をさらに開いて、ニアに向かって手を振った。せっかくの秘密の場所だから、他に誰も見てなきゃいいけどと思いながら。でも、ニアはちっとも気付かないようだった。まあいいや、とメロが手を下ろしたとき、ふいに視線が合ったような気がした。
しかし、ニアはすぐにハウスの中へと姿を消した。再び、現れたニアは黄色い傘をさして、庭へと歩いてきた。
メロは礼拝堂の長椅子に腰掛けて、ニアが来るのを待った。
わざわざここまで来るなんてどんな用があるんだろう。いつもなら僕が部屋に戻るまで待ってるはずなのに。
礼拝堂の扉が開き、ニアが顔を覗かせた。
「メロ?」
「ニア、早く扉を閉めて、中に」
小声でメロが呼ぶ。
「どうやって鍵を開けたんですか?」
ニアもまた、声をひそめて聞いた。
にんまりと得意げにあごを上げて、メロは胸をたたいた。
「ここに鍵があるんだ!」
「えっ」
首をわずかにかしげてニアは尋ねた。メロは人差し指で鎖をすくい上げてみせた。
「ロザリオで?」
「そういうこと」
スルッと首元の鎖を引き、ロザリオを手に乗せてメロは話した。
「この部分を鍵穴に入れたらさ、ちょうどぴったりで、鍵が開いたんだ」
「ロザリオが礼拝堂の鍵になったんですか」
驚いた顔で、ニアはロザリオをまじまじと見つめた。
「これで、いつでも礼拝堂の扉は開く」
メロはそう言って、再びロザリオを首元からTシャツの中へストンと落とした。
まだニアはメロをじっと見ていた。なぜか不思議そうな顔をしていて、一度目を凝らすように大きく見開くと、すぐに口元をほころばせて笑いだした。
「なんだよ」
笑われたことにムッとしてメロが聞いた。ニアは可笑しそうに言った。
「メロ、ちょっと頭を下げてください」
「頭? こう?」
メロはうつむくようにして軽く頭をニアへと向けた。
「いったい、何をしてたんですか?」
ニアは両手をひらいて、うつむくメロの頭のてっぺんから毛先へと髪を一撫でした。そして、手のひらをメロへと見せる。
「クモの巣がついていました」
白くよれたクモの糸がニアの手のひらに絡んでいる。
「ははっ。裏庭からここへ来るのに、ちょっと近道してきたからだな」
メロは笑って、そのクモの糸を指先でつまむとフッと息を吹きかけた。
「で、どうしてニアは僕を探してたんだ?」
すぐそばの長椅子に腰掛けて聞いた。
「今日、Lがここへ来るんだそうです」
「Lが!」
「はい、ですから三十分後にメロと一緒に応接室に来るようにと、ロジャーが」
「じゃあ、早く部屋に戻らなきゃ」
飛び上がるように立つと、メロは弾んだ声を出したが、ニアに向き直り悪戯っぽい表情を見せた。
「いや、ここで待ってよう。こっち」
メロはニアの腕を掴んで窓際へと移る。
雨雫が滑り落ちているステンドグラスの窓をメロは開けた。
「もう西の方が明るくなってる。雨もすぐに止みそう」
つま先だってニアも窓の外へ顔を出した。
「部屋で待っているより、ここから眺めていた方がLの車が来たこと、すぐにわかるだろ」
「そうですね。私たちが礼拝堂にいるなんて、きっとLは驚くでしょう」
楽しげな声でニアも頷く。
「まだかな。今日はたくさん話ができるといいんだけど」
「前回は、ほんの少し、顔を合わせただけでしたから」
「うん。あの日は雪が降ってて…… !」
メロは口を閉じて耳をすませた。
「聞こえた? 車の音!」
「はい」
かすかなエンジン音をニアも聞いた。ハウスの正門までの緩やかな坂道を上がってくる黒い車を目にして、二人は嬉しそうに顔を見合わせた。
メロは窓を大きく開けて手を振った。隣でニアも目一杯に顔を出した
。
「L、こっちをに気づくかな」
礼拝堂は正門から一番遠く、敷地の奥に建てられていたので、坂道を上がって見え始めた車が正門に到着するまでを二人は眺めることができた。
「僕たちも戻ろう」
窓を閉めると二人は礼拝堂を出た。
開けたときと同じように、今度は鍵を閉めなくてはならない。メロはロザリオを取り出し、鍵穴に入れてみたけれど、なかなか鍵が掛からなかった。
チッと舌打ちをする。
「上手くいかないな。ニア、先に行けよ。Lにすぐ帰らないでって伝えて」
それでもメロのLに会いたい気持ちが先走るからか、何度繰り返してもだめだった。ニアは、必死のメロの手元を覗き込んだまま、その場を離れようとはしない。しばらくメロは無言でロザリオを動かしてた。
「何をしてるんですか。楽しいことなら、私も混ぜてください」
笑いをこらえたような穏やかな声に、二人は同時に振り返った。
「L!」
息も止まりそうな驚きとLを目の前にした躍り上がらんばかりの喜びを、メロとニアは無邪気に見せた。
「僕たちが窓から顔を出してたのわかった?」
メロが聞いた。
「ええ、誰もいないはずの礼拝堂から天使に手招きされているのかと思いましたよ」
ニヤリと笑ってLが答えた。
「僕たちのこと、天使だって!」
ニアと見合い、メロがはしゃいだ声を上げると、はにかんだ表情を浮かべてニアは自分の髪をいじった。
「それで、あなたたちは今、何を?」
そう聞かれて、メロは握り締めていたロザリオをLに見せ、これで礼拝堂の扉の鍵を開けたことを話した。
Lは感心したように「これを鍵にしたんですか」とメロの手からロザリオを指先でつまみあげた。
「でも、今度は上手く鍵が掛からなくなって」
困ったようにメロが言うと、Lはまかせてくださいとでもいうように口角をぐっと上げ、鍵穴にそれを差込んだ。ちょっと指先を動かしたかと思うと、瞬時にカチリと音をさせ、ロザリオを抜いた。
「すごい! L!」
ニアとメロはそれこそ鮮やかな手際に感嘆のまなざしを向ける。Lはそんな二人に軽く笑みを返し、メロの首にロザリオをかけた。胸元で揺れるロザリオは黒いTシャツによく映えた。
「では、戻りましょうか」
Lは、優しいしぐさでメロとニアの頭に手をおき、肩へと滑らせて、ハウスへと促した。
すでに雨は止み、灰色の雲の隙間から太陽の光がキラキラと庭一面に零れ落ちていた。
---End---
10.05.28(10.04.04配布)
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